隼人には、ララ、なおごろう、バニラも一緒に引越して参りました。
毎日のんびりと田んぼのあぜ道や重信川のまだ舗装もされていない
土手を散歩してきた彼らにとってはまさに青天の霹靂だったことでしょう。
そんな彼らの新しい散歩道は、隼人工業高校の校舎とグランドとの
間を流れる用水路に沿った道です。
この用水路にはいつも満々と透き通った水が勢いよく流れております。
散歩するたびに枯れることなくことなく勢いのよい水量が不思議でなりませんでした。
そこで、ご近所からいらっしゃる患者様へどうしてでしょうね?とお尋ねしましたところ
「そや、宮内原用水やっで。」の一言でした。
宮内原用水?
(隼人塚の横に案内板がありました)
300年からなる歴史があるんですね。勉強になりました。
宮内原用水から田んぼに引かれた水はこの地域に豊かな恵みをもたらします。
そんなある日、自治会に入会して直ぐに「霧島講」が有りますので
参集するようにと回覧板が周ってきました。
一体「霧島講」って何だろう??
と、不思議に思いこれは近所の方へお尋ねすると
昔でいう「田の神さぁ」の名残りとのことでした。
田んぼが減り住宅地が多くなってもその精神を受け継がれている
原地区(隼人町内山田)の方々の行動力には頭が下がるところです。
(原公民館)
なんでも私の入った原公民館は200世帯以上の公民館なのだそうです。
自治会に入り本当の意味で地域の皆様に
親しく接することが出来て良かったと思います。