大分旅情 ~原点~

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(まだ暗い中を出発です)

2月21日(日曜)、隼人駅朝6時発の電車で鹿児島中央駅へ。

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(手前の新幹線です)

鹿児島中央駅6時58分発みずほ600号で小倉へ

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(小倉駅構内のうどんが美味しそうです)

小倉からは特急ソニック5号で大分着が10時24分。

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(白い車体にびっくりぽん!)

九州の地図を見れば一目瞭然ですが、実に九州を半周以上かけて

大分へやってきました!

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白ソニック2016.JPG 

(床はウッドで内装も素敵です)

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大分駅に着きますと、カメラの前でジャンプする彼女たち(何でしょう?)

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(大分駅構内のトイレは銭湯かと見間違う面白い作りでした)

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大伴宗麟さんもびっくりぽん!の大分駅前でした。

 ホテル 大分.JPG

今日は大分県の前会長清田清一先生の旭日双光章受章祝賀会にお招き頂きました。

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大分県の先生方一様にお喜びになられこれも清田先生のお人柄かと思いました。

 

祝賀会では、熊本県が今日は熊本城マラソンで救護活動を行っていることや

昨日は福岡県で保険指導講演会が有ったことなどの話や養成校の改革など

最新の様々な情報の共有と交換が出来まして鹿児島へ帰りましたら

会員の先生方へお伝えしたい情報満載でした。

 

さて、大分県といえば縁がありまして、実は私が生まれましたのは別府です。

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別府駅前.JPG

そして、臼杵は幼い頃より毎年の様に訪れてフェリーに乗り八幡浜へ向った地です。

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今から13年前”町残し”の街「臼杵」を舞台に映画「なごり雪」が

映像作家大林宜彦監督により作られました。臼杵市長(当時)の

町残しに共感した大林監督は臼杵に100年ほど経つ民家を改造して

「クランクイン」という喫茶店を開かれました。

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(クランクイン2階で40歳そこそこの若い私です)

地元の人も知らなかった「クランクイン」に平成年夏に息子と訪れた際は

メニューには無いフレンチトーストを小学5年生の息子の為に焼いて頂きました。

後で知ったことですが、焼いてくださったのは大林監督が映画を撮るときの

プロデューサーさんだったようで気さくな雰囲気に色々なお話しを聞かせて頂きました。

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そんな思い出が心に指紋みたいに残ったのでしょうか息子は今でも映画好きです。

 

そして私にも幼い頃付けられた心の指紋が・・。

私の小学5年生の夏の思い出写真が出てきました。

 

彼が鹿児島から市来まで父のもとへ痛めた腰を治療に来院する姿はよく覚えています。

びっくりするくらい背が高くて挨拶がしっかりしていた青年でしたので。

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(高3の定岡さんと小5の私)

この撮影場所は甲突川沿いに有った頃の鹿児島実業高校。私の隣は

昭和49年夏の甲子園へ行く直前の記念写真で、原辰徳さんのいる東海大相模高校に

延長の末破りベスト4入りして帰ってきたら大変なことになってしまった定岡正二さん。

4カ月後に巨人軍にドラフト1位で指名されるなんて思いもしないあどけない顔です。

 

私自身幼心に「僕もいつか患者様のお役に立ちたい」と、

思った一歩目だったかもしれません。

 

大分への旅は色々なことを思い出させてくれました。

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(帰りのソニック40号)