①今日の午後、整骨院の周りの風景を撮りました。左側に大里川が流れ手前は重信川です。
②整骨院付近を上空よりアップしました。
③左端に整骨院、そして市来農芸高校の校舎が正面です。
穏やかな風景です。ですが、、、
1945年(昭和20年)8月12日、私の父は親友宅へ遊びに行き、正午を迎えました。
家人から昼ご飯を食べておいでと、家に帰るように勧められ、その家をでました。
その直後でした。サイレンと共に空襲があり、その親友宅は戦火に包まれ一家全員焼死しました。
まだ10歳だった、父の脳裏に惨い光景が焼きついたようで、生前その話をしてくれたことがありました。
4秒・・・左手に大里川、手前に重信川、右に市来農芸高校グランドです。①の方向とほぼ同じです。
8秒・・・左手に大里川、道路を挟み、右側は実は沼地です。この沼地に現在はジョイフルやマンションが建っています。
14秒・・・元に戻り同じ風景のはずが、
戦火、炎と黒煙がたっています。父の親友宅です。炎の近くに映ってはいませんが、父もいるはずです。②の左側の赤信号付近が燃えていることになります。
この映像をネットで発見した時は、ショックで涙が止まりませんでした。
「なぜ人間は?
戦わない世界をつくれないの?
野生と理性
人間だけが持っているのに
なぜ生より死を好むの?
歴史が語る悲惨な心から
なぜ目を背けるの?
流す涙を減らしませんか?
私達が人間ならば」
これは六歳の脳障害を持って生まれた子の書いた詩です。
10年前に読んだ「はじめてのことば」日木流奈著(大和出版)の中にあります。