七夕の日に鹿児島は5年ぶりに太陽が顔を見せます。
そんな日に鹿児島空港へ向かいました。
上空から見た桜島は雲に覆われています。
(それにしても近づき過ぎじゃない?)
約1時間のフライトで到着したのは奄美空港。
ほぼ鹿児島→大阪と同じ距離をフライトしましたが
ここも鹿児島県!
マングローブの原生林
加計呂麻島へのフェリー発着場瀬戸内町では
シーカヤックマラソン大会真っ最中。
旅の目的は尊々我無「とうとうながし」
(我を無くして、尊い想いで人と出会いなさい)
という先祖からの教えが伝わる奄美大島に惹かれ
同じDNAを感じ搭乗していました。
竜郷町には西郷隆盛(吉次郎)が安政の大獄で奄美に流され
菊池と名を変え愛加那と暮らした家が保存されています。
ご子孫の龍さんにマンツーマンで島言葉による当時の話しを伺いました。
この手紙は西郷隆盛と愛加那の子供、西郷菊次郎(京都2代目市長)が
西南戦争での自身の負傷と父西郷隆盛な亡くなったことを伝えた
母への手紙です。(むせび泣きました)
ここで約3年半暮らした西郷さんはどんな心境だったでしょうか
凡人には分かりませんが懐の大きな西郷さんだけは分かります。
さて、奄美の方々と話をしますと“本土から来た”というフレーズが
度々登場します。同じ鹿児島県人として違和感を覚えます。
ただ珈琲には当たり前のように黒砂糖パウダー、ソテツの山々
など見るだけで文化・歴史の違いは分かります。
帰りの道すがら黒砂糖を買いにたまたま寄ったお店が
「ブラタモリ」でタモリさんが製糖体験した「水間黒糖」だったり
島とうふでの湯葉定食が鶏飯風にして食べれたり
喫茶店に入ろうとした脇でサトウキビジュース用のサトウキビを
絞っている光景に出くわすなど楽しいハプニング盛りだくさんの一人旅。
また、帰りの機内から開聞岳(薩摩富士)を望んだ時は終戦前の
特攻隊員が富士山に見立ててしまう気持ちに触れました。
隼人工業がランドマークとなり見えてきた橋口整骨院。
令和元年の七夕でした。