雪の東京

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日曜日、晴れ渡った霧島連山を望む

鹿児島空港を出発し、向かうは東京。

 

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世界遺産に登録された富士山が綺麗です。

と、快適な空の旅はここまで。

大雪の影響で羽田空港へなかなか降りられずに

1時間ほど羽田上空で待たされました。

 

しかし、物は考えようで普段見ることはない

千葉上空からの雪景色や東京湾、横浜市の街並み

その奥に望む茅ケ崎海岸や江の島・・・

たっぷり堪能出来ました。

(機器の使用は禁止ですので写真を撮れないのは残念です)

羽田空港に到着すると

 

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報道をテレビで見るのと実際は迫力が段違いでした。

また、タラップを出ると人・人・人。 大変です。

 

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東京駅も残雪が多く残っています。

鉄道事業関係者も本当に大変だったことでしょう。

乗客のために尽くす姿勢に頭が下がります。


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色々な事のあった東京ですが、何より

素敵な出会いが有りまして全ての疲れが吹き飛びました。

鹿児島へ帰り患者様へ還元出来る様に頑張ります!




富士山噴火!その年に・・・

午前中雨も降りましたがそう寒さは感じない午後です。

そんな昼休み時間、近くの鹿児島神宮へお参りに行きました。

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正月三が日の賑わいが嘘のように

今日の鹿児島神宮は幽玄な佇まいを醸し出し

神様へゆっくりお話しが出来ました。

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先々週でしたが実家のある市来まで車を走らせ

お墓参りをしてきました。

 

橋口家の墓は小原墓地(通称こばいのおか)にあります。

私が小学生の頃は墓地へ登る麓には防空壕の横穴が残り

その防空壕の中にはコウモリがいました。それを知っているのも

そこで平気に友達と探検して遊ぶような子供でしたから。

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ところで、墓の前にはお地蔵様が鎮座されておられます。

なんとこのお地蔵様は宝永四年(西暦1707年)からずっと

ここで庶民の願いを聞いておられるのです。

宝永四年とは江戸時代中期ですが、この年大きな出来事がありました。

そうです、宝永大噴火!現在までにおける歴史上最後の富士山の噴火です。

何故その年に?は、分かりません。

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ご覧の通り微笑みを浮べられた様にみえるお姿に心が癒されます。

三百年以上もの間、小原墓地にお参りする庶民の願いや想いを聞いて

こられたのだと想像するだけでこみ上げてくるものがあります。

ご先祖様も拝んだお地蔵様を同じ様に拝める幸せに感無量です。

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折角なので橋口家本家の庭にある氏神様にも手を合わせてきました。

祠の隣には生誕八百年を記念した碑がございます。

正治元年(西暦1199年)の鎌倉時代に先祖は市来での居住が

確認されており、なんともはや当時は源頼朝の世と聞けば

隔世の感ひとしをといったところです。

 

お参り三昧でしたが何事にも感謝して手を合わせることで

心が落ち着く気がします。

2014年 菜の花マラソン大会救護活動 ~見られていた編~

先日の菜の花マラソン救護活動は仲間27人で

結局3千人以上のランナーに手当てを行ったそうです。

(何人手当てしたのか私自身は数える余裕はございません)

私の所属する公益社団鹿児島県柔道整復師会が

救護所への来所人数をカウントしておりました。

詳細はこちらでhttps://kagoshimajusei.com/report/2014/01/2014112.html

 

知らない内に活動中の写真を撮っていたようで、

一緒に参加中の島子先生と合わせ追加UPします。

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救護活動初体験の島子先生も大活躍でした。


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寒い中の活動ですが、フラフラになるほど対処しますので

汗びっしょりになります。それでもなお17年も続けられたのは

対応したランナーからの「ありがとうございました。」

「生き返りました!」「これで最後まで完走出来そうです!」

切実な言葉を掛けられ私も一生懸命頑張れます。

 

私の性格は根っこのところで

人が好きなのだなと再確認した次第です。


橋口整骨院トリビアⅥ

特に女性の方にとっては、トイレの雰囲気は気になさる方が多いかと思います。

 

橋口整骨院では清潔であることはもちろんですが、心地よく過ごしていただける

トイレ環境作りに取り組んでおります。

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トイレはその流れるようなフォルムが美しい

2013年製LIXIL(リクシル)のSATIS(サティス)。

 

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手をかざすだけで水洗音が流れる音姫に

消臭・洗浄・除菌の便座除菌クリーナーを設置。


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そして、手洗い水栓はもちろん手を触れずにかざすだけで

水の出る自動水栓が設置してございます。

 

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LEDでのダウンライトと間接照明に照らされたトイレと化粧室は

安心してご利用いただけるよう別室になっており

施術後のお化粧直しにも便利なようにと、個別包装された綿棒なども

ご用意しておりますのでお使いください。

 

バリアフリーですので車椅子の方も利用していただけます。

 

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橋口整骨院は来院される皆様に心地良くお過ごしいただくため

スタッフ一同、細部にまでと心掛けております。




柔道整復科の学生へ講義をして参りました

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115日(水)鹿児島第一リハビリテーション専門学校の

柔道整復科の学生達に講義をして参りました。

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学生諸君は皆さん真剣に私語もなく聴講してくれました。

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私自身ずっと臨床に携わっているので質問の時間を設けたところ、

多くの学生が挙手をして色々な事を尋ねられ楽しい授業になりました。

また、輝く瞳に将来柔道整復師を目指す学生達の心意気を頼もしく思いました。

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授業の中で心に指紋を押しましたので何時か私の言葉を

研修中や開業時に思い出して頂けたら本望です。

 

最後に国家試験を全員合格出来ますよう祈念いたしました。

第33回菜の花マラソン大会救護活動

1月12日早朝に自宅を出て指宿市で開催される

菜の花マラソン大会の救護活動を行って参りました。

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今年は薄日で絶好のフルマラソン日和でしたが

流石に35キロ地点は相当苦しいようで多くののランナーが

救護所にテーピングやストレッチ等々求めて訪れました。

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若い柔道整復師にはテーピング方法や処置方法を

教えながらの救護ですので尚更大変です。

 

また、救護も17年目になりますと馴染のランナーもいらして

6年連続で訪れる熊本県から参加のランナーと再会で感動したり、

患者様やいちき串木野での元患者様にお会いしたりと

色々なドラマがあり皆様のお役に立てて良かったです。

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今年はテレビでお馴染みの石原良純さんが

テレビカメラと共にお見えになっておられました。

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私の所へも激励に訪れ感謝のお言葉をいただきました。

菜の花マラソン救護活動

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今年も1月12日(日曜日)に指宿市で
「第33回菜の花マラソン」が開催されます。

患者様の中にも参加される方がいらっしゃいますが
今年も1万8千人程のランナーがエントリーされているそうです。

実は私も16年連続で参加しております。
と、申しましても勿論ランナーではございません^^
救護ボランティアとしてです。

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当初、グランド内で事前テーピングや走り終えた方への
バイタルチェック等を行っていましたが、10年前からは
フルマラソンを走るランナーであれば一番苦しくなることで
お馴染みの35キロ地点へ救護所を移して救護をいたしております。

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例年約2千人以上のランナーが訪れますが
昨年は冷たい風雨に見舞われ例年になく
低体温症の方々が次々に運び込まれ悲惨な状況でした。

 


 

繰り返しですが、一昨年は千葉真子さんが
激励に訪れられました。

今年も救護ボランティアを行いますので
35km地点のJR山川駅の救護所へ
参加ランナーの方は遠慮なくお寄りください!

明けましておめでとうございます

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皆様、明けましておめでとうございます!

お正月はどの様に過ごされましたか?

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本日14日より橋口整骨院は平常通り診療を開始いたしました。

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カレンダーも新しくなり、今年は昨年以上に

「患者様を治すのではなく、治させていただく」をモットーに

励んで参ります。

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おみくじを引いたところ今までになく「大吉」でした。

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今年も橋口整骨院を宜しくお願い申し上げます。

裏を見せ 表を見せて 散る紅葉

愚息にゴールデンレトリバーを飼いたいと犬種指定で

お願いされ、しばらく様子をみていましたが本気でしたので

犬を迎えるとはどういう事かを納得した上で飼う決心をいたしました。

ララとの出会いは平成13年の2月下旬だったと記憶しています。

日置郡日吉町(当時)にブリーダーさんがいらして

2月1日に生まれたララを見せていただきました。

 

兄弟姉妹が6匹いましたが、一目でララのことが気に入り

ゴールデンウィーク明けにララを譲り受けることとなり

車で迎えに行きました。その車中のララが

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この写真をよくよく見てみると

母親や兄弟姉妹と離れ不安そうな眼をしています。

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家に着いてからのララは、当初心配していた夜泣きも無く

明るく元気にすくすく成長して行きました。

ララと名付けたのは、名前を呼ぶだけで楽しい気持ちになれるから。

 

家の中と外で飼う割合は半々でしたが、

一昨年、雪が降った年には偶々外で飼っていました。

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平成25年12月8日夕方、生後12歳10カ月と7日

ララは穏やかな寝顔で天に召されました。

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朝方にララと呼び掛けた時、意識の混濁する中で

目を閉じたまま右手を軽く挙げて応えてくれたのが

私との最後の会話になりました。

 

ララと呼べば楽しい気持ちになれる。

それは、最後だけは嘘だと分かりました。

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隼人に移転してまだ僅かですが、治療が終わりララに会わせてと

ララに会いに行かれたK様、G様またT様、

尻尾を振り振り甘えるララは皆様にお会いできて幸せでした。

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橋口整骨院の紅葉も今日の冷たい雨で散り始めました。

「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」

ララは良寛さんの歌そのもののような一生でした。

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