JOC公認最新高精度体成分分析装置を導入しました!

現在橋口整骨院へスポーツ外来で来院さされている

児童さんや学生さんたちの成長痛はポピュラーですが

オーバーユースによるシンスプリントをはじめ

股関節痛、膝、腰、肩関節周囲痛など運動による

痛みなど様々な症状でご来院されております。

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そこでこの度、JOC公認の高精度体成分分析装置

ITO-InBody370を導入いたしまして

患者様の体の4大構成成分や骨格筋、脂肪、

部位別の筋肉バランスを高精度に測定いたしております。

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エビデンスを行い今の症状に関する評価指標になることと

ご自身のお身体の状況を数値で把握することで別の側面では

今後起こりうる怪我の予防にもなろうかと思います。

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今の痛みを早く取りたいといった患者様方のご要望に応えつつ

今後の大切な試合前にケガはしたくないといった要望にも

一定の成果が期待されるJOC公認の分析装置です。

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スポーツおされる方はもちろん、運動不足の大人の方こそ

定期的な分析をぜひご体験ください!

熊本地震救護ボランティア

早いもので皐月です。そして5月早々の

5月1日、早朝隼人を出発して熊本地震救護ボランティアのため

宇城市の指定避難所「ウイングまつばせ」へ向かいました。

 

九州自動車道が開通し通り過ぎた人吉IC、八代IC、普段と

あまり変わらない風景に感じましたが

松橋ICを降りたとたんに…

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ウイングまつばせ正面入口へ続くポーチは

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どれだけのエネルギーが襲ったのか

波打つ地面の現実に恐ろしさを実感します。

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ここでは自衛隊によるお風呂の提供もなされている所です。しかし、

一歩避難所へ踏み入れますと被災者の方々の現実に言葉を失いました。

高速道路や新幹線が全面開通したという吉報に浮かれている状況では全くありません。

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また、救護活動の最中に被災者の方々が様々な体験談を

積極的にお話されますので静かに寄り添い拝聴しました。

 

この方は「益城町、熊本、南阿蘇の映像を見ると大変だったけれど

ここもとても怖かった。自衛隊の方にもお願いしたけど先生方の活動も撮ってください」

と、おっしゃいましたので一部ボランティア活動を掲載します。

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幼い子供さんのいる家庭は避難所に気を使い車中泊の実態も大変なものです。

復旧復興は安全に暮らせる家屋の確保が最優先課題と実感します。

 

救護活動中にたまたま一緒になった宮崎県から駆け付けられたドクターからは

「これからは先生方の力が被災者の方々に必要とされています」とエールを送られました。

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ところで隣町の宇土市役所は崩壊の危機が目の当たりに迫っておりました。

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実はその宇土市役所前には道路を挟み公園があります。

のどかな風景ですのでマスコミは取材しません。

「太古の夢」なんて素敵な大彫刻が置かれており地震でも

大丈夫で良かったと、目を地面に向けますと

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まだまだオール九州、オール日本でこの苦難を乗り越えて行かねばならないと

深く感じた救護ボランティア活動でした。

くるみ

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ねえ くるみ

この街の景色は君の目にどう映るの?

今の僕はどう見えるの?

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~ってMr.Childrenの歌がありますが

この歌詞には深い意味があります。

大切な人が傍にいてこれから始まる未来に夢を持ち

歩いていたつもりが想像していた場所と違うところにいる

今の自分。

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もう今の自分には大切な人は傍にいなくなりました。そして、

過去の自分に別れ 今を見つめるながら未来に踏み出す姿を

今は傍にいない大切な人に語りかけながら歩いて行きます。

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Mr.Childrenファンの私の中でも大好きな曲です。

しかし、今日はその「くるみ」ではなく

遅ればせながらのご紹介ですが今月(4月)より新しく

有里くるみ先生が入職しました!

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最初の面談でMr.Childrenの曲と一緒!(ってそこかい^^)

と、思っておりました。

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有里先生は今年柔道整復師免許を取得しました。

特に興味があるのは機能訓練の世界なのだそうで

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これから患者様方に様々な角度から施術を提供して参ります。

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来院の際は「くるくる」と、学生時代のニックネームでお呼びください。

よろしくお願い申し上げます。

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お彼岸2016

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世間では三連休とかでこの3日間天候も良く

橋口整骨院のミツマタの花の香りが玄関付近に漂い

気持ちの良いことしきりです。

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さて、土曜はいつも通り午後5時まで診療をいたし

その後は霧島講(田の神さぁ)でした。

 

昨年のちょうど今頃、何も知らされずに午後10時過ぎに帰宅しますと、

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びっくりぽん

 「田の神さぁ」.JPG

一年の経つのは早いものです。

今年は私が宿屋(主催)となり原公民館で霧島講の準備です。

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田の神さぁが我が家から去られることは寂しいですが、

無事に伝統の田の神さぁをお送りできました大役に安ど感もあります。

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田の神さぁ、ありがとうございました。

 

翌、日曜は朝から晩まで会議でした。

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午前中は公益社団法人鹿児島県柔道整復師会に入会をされた新人の

柔道整復師の方々へ様々な角度からアドバイスを行いました。

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皆さん真剣に個別に相談事も話され、今日は大変良かったと

喜んで帰って行かれました。

 

午後からは介護予防事業、いわゆる各市が独自に行う総合事業に

つきまして専門職の立場から介護保険を勉強する会議です。

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平成12年4月にスタートした介護保険制度はその保険料が月額3千円でした。

それが平成28年は月額約5千5百円。年額ですと3万6千円が6万6千円です。

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介護保険制度を考えれば考えるほどネガティブになりますので

これ以上詳しくは言えませんが制度が破綻しないように

地域の力を活かして行こうと情報の共有をいたしたところです。

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観音が池 2016.3.JPG

観音が池 2016.JPG

そして、昨日は午後からいちき串木野市へ墓参りしてきました。

帰り道すがら観音が池に寄りますとソメイヨシノはまだですが

山桜の桜吹雪に癒されました。

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ここは奈良県吉野の桜と一緒で眼下に桜を愛でられる名所になりました。

満開時は最高です。

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「何で桜なんか植えるのだ!」と当時の市来町議会で反対意見も有った

桜をM町長は先を見据えて植える事業を推進しました。

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今では反対意見を述べた元町議会議員さんは桜が咲き始めると

いの一番に桜の下に椅子を置いて宴会をしております。

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介護保険について桜が何か語っているようでベンチに

暫し佇みました。

「鹿児島マラソン2016」救護活動

3月6日(日曜)、早朝隼人を出て重富中へ向かいますと

救護所へ乗せて行くバスが待っておりました。

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昨夜まで沖縄にいて夕食も食べずに帰らなければならなかった理由が

鹿児島マラソン2016救護担当です。

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沖縄では「ぶらタモリ」でも紹介された首里城の「龍樋」

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首里城正殿

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守礼門

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御差床

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などなど瞬間的に見ただけでの帰省です。

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早朝の白銀坂付近から望む桜島は雄大です。

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それにしましても車のいない10号線は不気味にも映ります。

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そして、救護所第一号患者様は予想通りスタッフでした^^

台車で足を踏んで痛めてこられ直ぐに手当てをいたしました。

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その後スタートしたランナーが次々に駆け抜けて行きます

(この辺のランナーたちは救護所には無関係です)

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それから暫くして始まった野戦病院並の忙しさ・・

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沖縄学会の疲れも忘れる汗だくでの処置です。

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私の救護所は鹿児島市と姶良市の境付近に有る大崎ヶ鼻

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隼人町方向も綺麗に望めます。

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桜島の景色も抜群です。

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さて、救護所では3名の救急搬送も含め大忙しでしたが

ゴール付近で発生したCPAも無くひとまず安心でした。

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救急救命の名医富岡医師と並んで撮影しました。

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ボランティアで補助をしていただいた加治木看護専門学校の

看護師の卵さん達も現場を明るくしてくれました。

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週末は留守にしご迷惑をお掛けしました。

明日から橋口整骨院でしっかり腰を据えて患者様にあたりたいと思います。

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沖縄学会 びっくりぽん!の連続です

3月4日(金曜)、九州学会沖縄大会並びに九州ブロック理事会

出席のために鹿児島空港より那覇空港へ飛立ちました。

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直ぐに藺牟田池が見えてその先に東シナ海。

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あれは!故郷市来です。東シナ海へ出っ張った所は戸崎(コアですいません)

その先が私の育った街です。霧島市の皆様方には分かりにくい感覚でしょうが

飛行機が家の傍を通る感覚が薩摩半島の街には皆無です。

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そして盆地に広がる伊集院。

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吹上町

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加世田

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眼下の枕崎市を出ますと東シナ海に

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黒島です。

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改めて実感しましたが1時間以上フライトしてもまだ

鹿児島県内です。

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那覇空港に着陸し、駐機場へ向かう途中に

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やはりここは沖縄です。

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理事会が始まる前の隙間の時間にレンタカーを借りて

ここだけに行きたくてたまらなかった嘉数高台公園へ

(観光地でない為ナビに入っておらず業者に近くの番地を入れて出発です)

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普天間基地が目の前に見渡せる公園からは

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オスプレイの爆音も。

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言葉を飲み込みました。

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ここは太平洋戦争の激戦地でもありました。

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そして、私がまさに普天間基地を見学していた時間

びっくりぽん!

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今日(3月5日)の琉球新報朝刊1面に

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社会面にもフル紙面で

 

隣県である鹿児島でも新聞掲載扱いはこんなにも違います。

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そうです。隣に料紙並べられるのも学会終了後、他の皆さん懇親会の中

私一人だけ学会終了後直ぐに那覇空港から鹿児島へ帰りました。

びっくりぽん!です。

理由は呼称権の関係で今日は言えませんが明日の活動が終わりましたら

報告いたします。(明日は今日の沖縄の雨が鹿児島で降りそうです)

 

さて、沖縄学会での写真も

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第44回九州学術大会.JPG

そして、昨日宿泊しましたパシフィックホテル。

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36年前、修学旅行で宿泊したホテルでもありびっくりぽん!

懐かしいですけどアルバムで確認するまで信じられませんでした。

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この当時バスガイドさんが「沖縄はアメリカに占領されましたが

その前は薩摩藩に抑えられました・・」とアナウンスした後

この子たちは鹿児島からの修学旅行生だと慌てて気付き

その後何もしゃべれなくなってしまったバスガイドさん。

ずいぶん前のことですがこのことは鮮明に覚えています。

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そして、理事会の有ったロワジールホテル沖縄。

何気に売店前を通ると赤サンゴ礁が3百2万4千円。

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びっくりぽん!です。こんな高価な物を誰が購入するのだろうと

隣のネックレスを見ますと1728万円!びっくりぽん!の連続です。

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赤サンゴ礁は買えませんが、流行りの量産化した陶器製ではない

サンゴの琉球漆喰で手作りされたシーサーを実際に作られた

作家に話を伺いながら購入してきました。

 

明日はびっくりぽん!が起こりませんように^^

つなみ

平成28年3月1日(火曜)、今朝は寒かったですね。

それでも弥生三月の始まりです。

 

さて、今月待合室には新たな本が加わりました。

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東北大震災が発生した平成23年3月11日。

地震による津波で被災した子供たちが書いた作文が文芸春秋よりこの年

「つなみ」という作文集として発刊されました。

待合室に既に置いてありますので手にされた方も多いと思います。

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津波2016.JPG

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東北大震災から5年が経とうとしている今「つなみ 5年後の子供たちの作文集」

が本屋さんに並べられており驚きました。

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早速購入いたし一気に読んで5年前同様に号泣しました。

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待合室に置いておきますので皆さまお手に取ってみてください。

 

読後にそれぞれの感想があると思いますが

今の自分自身を見つめ直すことになると推察いたします。

 

そして、私の趣味で「緒方貞子回顧録」も置きました。

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この本霧島市図書館にいつか入るかと暫く待っていましたが

どうも霧島市では購入の予定が無いようですのでたまらず購入した本です。

国連難民高等弁務官などの役職でのご活躍は皆さまご存知のことですが

緒方貞子さんの生き方や考え方を率直に触れられるまたとない本でした。

こんな素晴らしい日本人がいることに勇気をもらえます。

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3月は別れの季節でもあります。

橋口整骨院のお隣にある隼人工業高校では今日が卒業式のようです。

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京セラホテルのにくい演出にも頬が緩みます。

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初午祭 2016

平成28年2月28日(日曜)、橋口整骨院から徒歩で直ぐの

大隅一之宮、鹿児島神宮に於きまして鹿児島の春を告げる

初午祭が行われ少し見物に出かけました。

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初午祭の見物は今年で3回目ですが毎年好天に恵まれ

踊る馬も人も心地良さそうな感じでした。

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今朝の朝刊23面に約10万人が訪れたと載っていました!

午後4時過ぎというのに露天にも神宮にも人・人・人の波でした。

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今年初めて見る看板がコレ

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時代ですね。

そして、今年もお参りを済ませポンパチを手に入れ

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早速風除室に飾りました。

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春はもうすぐです。

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大分旅情 ~原点~

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(まだ暗い中を出発です)

2月21日(日曜)、隼人駅朝6時発の電車で鹿児島中央駅へ。

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(手前の新幹線です)

鹿児島中央駅6時58分発みずほ600号で小倉へ

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(小倉駅構内のうどんが美味しそうです)

小倉からは特急ソニック5号で大分着が10時24分。

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(白い車体にびっくりぽん!)

九州の地図を見れば一目瞭然ですが、実に九州を半周以上かけて

大分へやってきました!

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(床はウッドで内装も素敵です)

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大分駅に着きますと、カメラの前でジャンプする彼女たち(何でしょう?)

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(大分駅構内のトイレは銭湯かと見間違う面白い作りでした)

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大伴宗麟さんもびっくりぽん!の大分駅前でした。

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今日は大分県の前会長清田清一先生の旭日双光章受章祝賀会にお招き頂きました。

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大分県の先生方一様にお喜びになられこれも清田先生のお人柄かと思いました。

 

祝賀会では、熊本県が今日は熊本城マラソンで救護活動を行っていることや

昨日は福岡県で保険指導講演会が有ったことなどの話や養成校の改革など

最新の様々な情報の共有と交換が出来まして鹿児島へ帰りましたら

会員の先生方へお伝えしたい情報満載でした。

 

さて、大分県といえば縁がありまして、実は私が生まれましたのは別府です。

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そして、臼杵は幼い頃より毎年の様に訪れてフェリーに乗り八幡浜へ向った地です。

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今から13年前”町残し”の街「臼杵」を舞台に映画「なごり雪」が

映像作家大林宜彦監督により作られました。臼杵市長(当時)の

町残しに共感した大林監督は臼杵に100年ほど経つ民家を改造して

「クランクイン」という喫茶店を開かれました。

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(クランクイン2階で40歳そこそこの若い私です)

地元の人も知らなかった「クランクイン」に平成年夏に息子と訪れた際は

メニューには無いフレンチトーストを小学5年生の息子の為に焼いて頂きました。

後で知ったことですが、焼いてくださったのは大林監督が映画を撮るときの

プロデューサーさんだったようで気さくな雰囲気に色々なお話しを聞かせて頂きました。

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そんな思い出が心に指紋みたいに残ったのでしょうか息子は今でも映画好きです。

 

そして私にも幼い頃付けられた心の指紋が・・。

私の小学5年生の夏の思い出写真が出てきました。

 

彼が鹿児島から市来まで父のもとへ痛めた腰を治療に来院する姿はよく覚えています。

びっくりするくらい背が高くて挨拶がしっかりしていた青年でしたので。

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(高3の定岡さんと小5の私)

この撮影場所は甲突川沿いに有った頃の鹿児島実業高校。私の隣は

昭和49年夏の甲子園へ行く直前の記念写真で、原辰徳さんのいる東海大相模高校に

延長の末破りベスト4入りして帰ってきたら大変なことになってしまった定岡正二さん。

4カ月後に巨人軍にドラフト1位で指名されるなんて思いもしないあどけない顔です。

 

私自身幼心に「僕もいつか患者様のお役に立ちたい」と、

思った一歩目だったかもしれません。

 

大分への旅は色々なことを思い出させてくれました。

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(帰りのソニック40号)