F君のナイスなお返し^^

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弓道を始めたF君が三角靭帯を痛めて来院しました。

大まかな「足首の捻挫ですね」という説明は当院では禁忌です。

内くるぶしにある後脛路靭帯、脛踵靭帯、脛舟靭帯(総じて三角靭帯)を丁寧にエコーで観察してゆきます。

脛骨果部の骨折は認めませんでしたが、靭帯に微小断裂を認めましたので、損傷の程度はGrade Iです。

付き添いで来院されていたお母様にご説明させていただきました。

直ぐに足関節の矯正治療を行うと、足を着くだけで痛みが出て辛かったF君の足は

痛みが無くなり元気に歩いて帰られました。

 

なんと、ちょうど8年前手首を痛めて来院した時のF君の写真が有ったので、

大きくなったね~!と話をすると、

「先生もね!」と、お腹を擦られてしまいました。

相変わらず、ひょうきんなF君でした。

コピー ~ 画像 062.jpg(8年前です)

旧型のエコー観察装置のこの頃が懐かしいです。

今回はこの写真HPに出してよ!というF君の

リクエストのお応えしたUPでした。

唐カラ船祭り

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古くは遣唐使船の寄港地であり、倭寇や遣明船、薩摩藩の密貿易の拠点として栄えた「坊津」

752年に鑑真様が最初の渡航から10年の歳月を要し日本に辿り着いた地でもあります。

 

端午の節句の昨日、坊津町泊地区内の子供たちが「ハンヨーイ,サーサー」の掛け声で

九玉神社までガラガラ船を引いて行列を作っておりました。

 

船は手作りでその家に代々受け継がれた物もありました。

また、「唐カラ船祭り」の船を曳くのは男性に限られております。

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実に素朴なお祭りですが、新聞紙で兜を作り浴衣姿の稚児がとてもかわいかったです。

マスコミ関係者は見かけましたが、観光客はほとんどおらず、私は泊地区の住民に溶け込んで観ておりました。

 

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これが、坊津町泊地区です。

この地は鯉のぼりをあげると風を呼ぶとかで鯉のぼりは禁忌となっております。

港町所以ですね。

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市来から坊津へは車で南へ80分ほどですが、別世界の様な光景が待っておりました。

天気次第で三島村の黒島も望めます。

夏に向けたカーテン

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毎年恒例になりますが、

今年もプランターにゴーヤ(にがごい)を植えました。

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裏にはヘチマを植え夕陽を和らげます。

ヘチマの味噌炒めは夏のご馳走にもなります。

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ついでに、トマトの苗も植えました。

 

早速、患者様に、ゴーヤ用のネットの張り方が緩いと指摘され、直しました。

これも、毎年恒例になりますが、いろんな先生(患者様方)に、

農作物の作り方を指導され、夏本番を迎える橋口整骨院です。

橋口整骨院トリビアⅡ

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当院玄関の薔薇の蕾も膨らみもう直ぐ咲きそうです。

すっかり春です。

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「端午の節句」を前に当院の受付には

藁で作った鯉のぼりが気持ちよさそうに泳いでおります。

さて、当院の受付は他にもこの様な置物も飾ってあります。

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これは、薩摩焼の今年の干支です。

患者様でいらしていた窯元の方に頂きました。

実は去年ではなく一回り前なので13年前の作品です。

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これは、市来の海岸で拾い集めた貝殻で作った置物です。

これを作られたのは患者様でいらしていた男性のO様です。

O様からいただいた際に事は忘れられない言葉が添えられました。

「おいがけしんでも、おいの作った貝をずんばいんとが見てくるっでやな。

そいがたのすんで嬉しと」(私が亡くなっても、私の作った貝を沢山の人が見てくれる

だろうね。そのことが楽しみで嬉しいんだ)

独居で最後まで元気に生き抜いたO様。

20年前99歳で亡くなられる数か月前の物語です。

月日は経ち、市来の海岸にはこの様な立派な貝も今は無くなり、

当院の他に国民宿舎と農協湊支所にプレゼントされましたが、国民宿舎は民営化され

湊支所は統合されO様の貝を見る事ができるのは当院だけになってしまったようです。

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ご夫婦で市来の海岸を毎日歩かれ少しずつ集められた桜貝。

今月、磯じまんの空き瓶に入れられ患者様にいただきました。

これは、私の机の上で彩りをいただいております。

観音ヶ池の桜

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午後から市来は雨になりました。

今、観音ヶ池の桜は満開です。

普段、部活動をしている、市来農芸高校の生徒さん、

市来中学校の生徒さん、神村学園の野球部の皆さんが

ここを走っているのを見かけることがありますが、

黙々と走る姿は、青春ですね。

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奈良の吉野桜のように、眼下に桜を見下ろして、

愛でることができます。

今日の雨で散ってゆくのでしょうね。

散る桜、残る桜も、散る桜。

春が駆け足でやってきました。

 

 

番外編

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①今日の午後、整骨院の周りの風景を撮りました。左側に大里川が流れ手前は重信川です。

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②整骨院付近を上空よりアップしました。

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③左端に整骨院、そして市来農芸高校の校舎が正面です。

 

穏やかな風景です。ですが、、、

 

1945年(昭和20年)8月12日、私の父は親友宅へ遊びに行き、正午を迎えました。

家人から昼ご飯を食べておいでと、家に帰るように勧められ、その家をでました。

その直後でした。サイレンと共に空襲があり、その親友宅は戦火に包まれ一家全員焼死しました。

まだ10歳だった、父の脳裏に惨い光景が焼きついたようで、生前その話をしてくれたことがありました。

https://www.criticalpast.com/video/65675033359_Strafing-by-planes_United-States-Army-Air-Force_Kyushu_World-War-II

4秒・・・左手に大里川、手前に重信川、右に市来農芸高校グランドです。①の方向とほぼ同じです。

8秒・・・左手に大里川、道路を挟み、右側は実は沼地です。この沼地に現在はジョイフルやマンションが建っています。

14秒・・・元に戻り同じ風景のはずが、

戦火、炎と黒煙がたっています。父の親友宅です。炎の近くに映ってはいませんが、父もいるはずです。②の左側の赤信号付近が燃えていることになります。

 

この映像をネットで発見した時は、ショックで涙が止まりませんでした。

 

「なぜ人間は?

戦わない世界をつくれないの?

野生と理性

人間だけが持っているのに

なぜ生より死を好むの?

歴史が語る悲惨な心から

なぜ目を背けるの?

流す涙を減らしませんか?

私達が人間ならば」

これは六歳の脳障害を持って生まれた子の書いた詩です。

10年前に読んだ「はじめてのことば」日木流奈著(大和出版)の中にあります。

初午祭

今日は3月3日桃の節句です。

そして、鹿児島に春を告げる、鹿児島神宮の初午祭!

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そしてこれは、鹿児島の人間なら、お馴染の、

家内安全と厄除けを込めた。「ポンパチ」

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8年前に亡くなられた、患者様のH様は、毎年、湯治場から見物に行くとおっしゃっていた初午祭。

今日は空の上から、ご覧になっていることでしょう。

 

帰り道、いつかは訪れたいと思っていた「新留小学校」に寄ってきました。

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正面.JPG

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既に、廃校になり数年経ちますが、学校はきれいでした。

なぜ、新留小学校??って思いの方は、これをご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=TSLeih1tRkI

彼女たちが、正門を入り、立ち止まって、挨拶していた場所の、

文字は薄れても、思い出はいつまでも鮮やかに、蘇ります。

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明日からも、患者様を治させていただく、パワーを頂いたプチ観光でした。

道すがら購入した、さくら餅を頂いて、パワーもつけます。

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橋口整骨院トリビア

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明日は、ひな祭り。

当院の受付にも、お雛様人形が、飾られております。

 

さて、当院の玄関脇の、案内看板。

ホネ貝.JPG

どうでしょうか?何か感じませんか?

そう!当院は整骨院です。ですので、やさしくホネ貝で、

院内をイメージもらえたらと、入れました。

で、院内はというと

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こちらは、どうでしょう?ホネ貝からつながる、背骨を、

患者様に感じていただけたらと、わ・ざ・と天井を剥がしました。

ここでもうひとつ、ベットに、仰向けの患者様が寝ているところを、想像してみてください。

退屈かな~と、

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時々、たま~にですが、仰向けに寝ていた患者様が、「あぁーー!」と、

声を上げられたり、面白そうにクスクス笑われる方がいらっしゃいます。

小鳥は、見つかりにくい位置に、隠しているところがミソです。

まだまだ、トリビアはございますが、それはまた今度。

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ひな祭りだから、ではございませんが、当院は、女性の患者様がベットに

横になる際には、ビーズ入りの圧迫の少ない胸枕を使用いたしております。