これは、鹿屋のブリーダーさんにいただいた、尚五郎が生後2ヶ月頃の写真です。
こちらは、今年の年賀状用に撮影した五穀豊穣を願う尚五郎。
さて、「尚五郎」の名付けの由来ですが、
ズバリ!肝属尚五郎から頂きました。
ご存知の通り「小松帯刀(清廉)」の幼名が肝属尚五郎です。
肝属家は元来大隅(大隅半島)の家柄で、
帯刀は吉利(薩摩半島)の小松家の家督を継ぎました。
尚五郎(パグ)も鹿屋(大隅)から市来(薩摩)へ錦江湾を渡ってきました。奇遇ですね^^
あの西郷隆盛や坂本龍馬が幕末、宰相に押していたという小松帯刀のような大きな志を
持ったパグでいて欲しいと、親バカ覚悟で名付けたのですが・・・
1週間前、尚五郎を連れ橋口整骨院の周りをいつもよりちょっと長めの
(2㎞)散歩に出掛けたところ、700m地点で疲れて動かなくなりました。
(仕方なく重たい尚五郎を担いで帰りました)
今からこれでは、酷暑の夏が心配です。
そこで、
それでは本物に気合を入れて頂こうと、私が中学、高校の頃は
自転車でよくお参りに出掛けていた小松帯刀のお墓へ尚五郎も参拝に連れ出しました。
(羽織袴を持たないので浴衣姿でお参りする尚五郎)
尚五郎は、橋口整骨院のキャラクターになっております。
いつまでも健康でいて欲しいです。ですから、
ララやバニラと一緒に、また明朝も散歩です。
市来で散歩中の尚五郎を見つけましたら、頑張れ!と、
励ましてあげてください。
ところで、橋口整骨院の診察券、封筒、名刺関係などが、
同じ市内のTさん(橋口整骨院HPリンク集ご参照)により、
二人?とも実物より、かなり"よかにせ"に描いていただいた、
私と尚五郎とツーショット画入りに変わる予定です。
(Tさん、ありがとうございます。)
尚五郎、3歳の春でした。
6月9日(日曜)、いちき秀栄ドームにて
橋口整骨院杯ゲートボール大会を開催いたしました。
今日の参加は、日置市(伊集院地区・東市来地区)、
いちき串木野市(市来地区・串木野地区)の各地区より
10チーム、総勢50名以上の皆様にプレーいただきました。
橋口整骨院杯ゲートボール大会は、今年でちょうど開催10年目に当たります。
開業以来、特に平成の初め頃は日頃患者様に接する中で、ご高齢の方の大腿骨頚部骨折やコーレス骨折(橈骨下端骨折)の治療を多く経験しました。
そのほとんどが、足元の不安定(体幹の不安定)から転倒し、骨折されることが原因となります。
そこでまず、骨折転倒予防の教室を院内に設け、昼休み時間を利用し、ご高齢の患者様や
そのお友達を対象に、京都大学のモデルを基礎に、ボランティアでレッスンを行っておりました。
当時は転倒予防に日本国内でもあまり関心が低く、稀な事を市来で始めた訳です。
そうする内に、各地域の総会や老人会の場で、転倒予防教室のご依頼をいただきました。
ご依頼が有るということは、皆さんお困りなのだろうと、パワーポイントもない時代でしたので、実際のレントゲン写真を見ていただき、その大変さをご認識して頂いた上で、
ボランティアで転倒予防の体操等をお伝えして参りました。
その中で、市来町(当時)ゲートボール協会より、ぜひ大会を主催して欲しい旨の
ご依頼が有り始まったのが、今日の大会です。
今日の主催者あいさつでも申し上げましたが、「今迄お仕事に、子育てに懸命だった皆様の礎の上に、
今の私たちや日本があります。どうか、いつまでも健康で、そして、今日は楽しいひと時をお過ごしください。」
ところで、どうせやるならトロフィーは趣味に走ろう!と、サッカーワールドカップの優勝トロフィーを模しものを準備しました。
当初は、参加者から訳が分からない???と、いう反応でしたが、
10年も経つと、皆さんに認知され、大変好評です。
高齢化が進む地域の皆様のお役に立てればと、微力ながら活動をした梅雨の日曜日でした。
4月末に植えましたゴーヤ(にがごい)の現状です。
どうでしょう・・・! 梅雨を迎えすくすく成長しております!
これには先生方(患者様)からお褒めの言葉を頂いております。
既に収穫も始まり、味も上々で美味しく頂きました。
そして、トマトは、
こちらも順調です。
芽掻きもしっかり行っております。
それで性分でしょうか、勿体無い!ということで
(左端が芽掻きした苗です。)
芽掻きをしたものを植え直したところ、また根付いております。
もちろん完全無農薬栽培です。
さて、完全無農薬栽培といえば、
生前に父が植えた南高梅と枇杷の収穫など勤しんでおります。
それが終われば、
(安納芋畑)
整骨院の傍ら、早朝の時間を利用して犬たちと土とに戯れる日々です。
なにせ今は5時を過ぎれば空は明るいですから^^
母校「市来中学校」
いつの間にか立派な門になっていました。
その裏門に回ると、
こちらも派手な看板になっていました。
そして、この裏門を抜けると、松林があり、坂を登ると
三大砂丘の一つ、吹上浜の北端にあたる市来海岸です。
市来小学校の校歌の出だしが「恵比須ヶ丘の砂清く~♪」ですので、
地元ではこの辺りの浜は恵比須ヶ丘と呼んでおります。
今日の恵比須ヶ丘の光景は、黄砂なのか、例の2.5なのか
霞んでしまっております。(午後2時半頃撮りましたが、誰もいない海辺です)
いつもは沖に見える甑島も霞んで望めません。
さて、この丘には記念碑が建っております。
よく分からないでしょうからズームアップしますと、
そうです。昭和天皇が皇太子時代の大正9年3月30日午後5時35分
渡瀬橋(橋口整骨院の前にあります)を御徒歩で渡られ、白砂青松の恵比須ヶ丘に
拵えた桟橋より軍艦にご乗船され、佐世保へ向われたのです。
こんなに詳しく分かるのも
記念碑の裏にそう掘ってあるからです^^
市来はその昔栄えていた事を垣間見る不思議な場所です。
もっと信じられないのが、この記念碑の文字は
ナントあの東郷平八郎元帥の書です。
さて、今度の日曜日(5月26日)は、この記念碑の周りにテントを建てて
ウォーキング大会が開催されます。
また、もう少し水温が上がると、この浜には鱚を狙った投げ釣りが楽しめます。
この模型は、27年前の開業時から私の机の横に有り
患者様へのご説明用に使用いたしております。
名前はボーン君(勝手に名付けました)
ドイツ製で身長180㎝もあり、場所をとる上、
結構高価な模型ですが、ハピネスの心で導入しました。
当初はそのままの姿でいたのですが、幼い子供さんの中に
怖がる方がいらっしゃったので、ロングの白衣を着せたところ
逆にリアル過ぎて怖さが増してしまいました。(失敗^^)
そんな中、息子のパンパース(おむつ)を購入した際に付属していた
パンパース帽子を被せたところ、なんとサイズピッタリ!で
子供さんたちにも大受けしたので即採用!
そのパンパース穿いていた息子も今年26歳。
何回も洗濯を繰り返しながらボーン君の頭には、あの時のパンパース帽があります。
そして、カッコいいゴーグル。
実はこれ、13年前に栗東トレーニングセンター(滋賀県)を訪問した際に
厩舎の方から武豊さん(ジョッキー)が調教で実際使用していたという
お宝物をいただきました。
家で保管するより、皆さんに見て頂く方法は?と、思いつきで
ボーン君に掛けたところ、頭のサイズぴったりフィット!
で、ボーン君は武豊さん使用のゴーグルをずっと掛けているのです。
この掛け時計、ボーン君を購入した医療器会社社長さんから
「この模型、買っていただくのは先生くらいですよ。でも、患者さん幸せですね。」
という言葉と共に開業祝に頂きました。
今流行りの電波時計でもなく、デジタルでもない、
単2電池1個で動くシンプルなアナログ時計ですが、27年間故障一つせず、
ずーっと橋口整骨院へ来院された患者様を見守り続けております。