第13回「霧島市健康福祉まつり」

2月9日(日)、「霧島市健康福祉まつり」に姶良支部の先生方へ呼びかけて

整骨院ってどんなところで?どんなことをするのか?

市民の皆さんへご理解頂くために参加いたしました。

今年で5年目になる地道な取り組みですが

協力して頂けるのはいつもの真面目なメバーです。

そしてこの健康福祉まつりには日本ラグビー協会副会長の清宮克幸さんが

記念講演をされました。早稲田実業高校出身で北海道日本ハムファイターズ

清宮くんのお父さんと言った方が皆さん分かるかもしれませんが

私は明治の好敵手としての清宮さんのラガーマン時代を

良く知っておりますので霧島市へいらっしゃるなんて感激です。

「清宮流マネジメントの極意」と題した講演は時にユーモアも交え勉強になりました。

早稲田大学ラグビー部監督時代のULTIMATE CRUSH(究極の破壊)

 

ヤマハ監督の際のノブレス・オブリージュはフランス語ですが

(責任ある立場にある者はそれ相応の責務を果たさなければならない)

と訳しても良いようです。

リーマンショック、リストラ、TVドラマノーサイドゲームが

リアル社会で行なわれていました。

 

清宮さんは時々口癖のように「小説みたいでしょ」と、実際の出来事を

語られていらっしゃいました。これらは清宮さんの熱・言葉・独自性が生んだ

必然であったと心にすとんと落ちました。

さて、ノブレス・オブリュジュですので

来年もまた参加して市民の皆さんと触れ合いたいと思います。

またまた新導入です!

2020年1月22日、これまでのAqua Fairyから

これで通算4台目となる新型ウォーターベッド

AQUACUBEを新導入しました。

従来のウォーターベッドに比べてCubeノズルが

僧帽筋上部をしっかり刺激します。特徴は

3Dウオ―タマッサージベッドで3次元アのプローチです。

思い起こせば大阪学会で西ドイツ製のウォーターベッドを

初めて見た衝撃から30数余年。

あの時は現在の様な形のベッドではなくうつ伏せに寝て

背中から滝の様に水を当てるといった仕組みでした。

実際に体験してみますと背中のラバー越しに当たる

打たせ湯の水に濡れないバージョンの様な感じで

気持ちは良いですが水圧と何せ音のうるさい事に驚きでした。

医療機器メーカー担当者も「そんなのが有ったんですか!」と、

ご存じないくらい前から様々なウォータベッドを試してきておりました。

この快感を市来の患者様方にも味わえてもらえたらの思いで

医療機器会社いわく、鹿児島県内で初めての

ウォーターベッド導入して以来4機種更新しながら今日に至ります。

現在はスタンダードになっているウォーターベッドも

そんな歴史があったのです。

また、導入して以来ご好評を頂いております

ショックマスターも数年後にはスタンダードになって行くことでしょう。

あれ!これずいぶん前から橋口整骨院に有ったよねと、

ウォーターベッド同様の反応が密かな楽しみです。

一歩先行く最新の情報とエビデンスを基にこれからも

地域住民の皆様のお役に立ちたいと思い励んで参ります。

浜田省吾「終わりなき疾走〜ALL FOR RUN」


暖かい日差しの中気持ちよく日向ぼっこしている
猫の先にある鹿児島市民文化ホールで
2020年1月18日浜田省吾100%FAN FAN FAN2019 Journey of a Songwriter since 1975 Welcome back to The 80’s Part-1 「終わりなき疾走〜ALL FOR RUN」コンサートがありました。


(鹿児島市民文化ホールの前の錦江湾に垂水フェリー)
実は浜田省吾さんのコンサートは36年か37年ぶりでして
仕事だったり子育てだったりでコンサートなど行く余裕のない
時間が過ぎ今回もどうしようか迷っていましたが
The80’でしたので切なさに背中を押され足を運びました。

(トッピーも)
久しぶりに生で観た浜田省吾さんは白いものも増えていましたが
それはお互い様。但しパワーは若い頃よりグレードアップしたかの様な
迫力あるエンタテイメントですね。

演奏される曲を全て口ずさめるって我ながらすごいですね。
横浜や渋谷で過ごした若い頃の思い出が曲と共に蘇りました。

初心に帰りまた頑張ろうとパワーをもらえたコンサートでした。

(この日の桜島は夕陽が当たり綺麗に輝いていました)

鹿児島県子ども医療給付の在り方に係る有識者懇談会

昨日は昼休み時間に

これ県庁に入ると止まったままのエレベーターを利用して

県内の焼酎がギッシリ飾ってあります(中身はありません)

そうそう本題はこれでした。

「第1回鹿児島県子ども医療給付の在り方に係る有識者懇談会」

夕方のNHKニュースで内容が報道されておりました。

(懇談会は議事からは非公開でしたので内容は申し上げられません)

報道の通りです。

会議室に入るとTV局や新聞社などのマスメディアが多いなと、

思って緊張して座っておりましたがまさか発言場面が映るとは・・・

昼飯抜きで県庁まで往復しましたので午後からの患者様方へは

ご迷惑をお掛けすることなく済みましたが

待合室でTVに映し出された私の姿に

「えっ?なんで?今日ですよね?」とおっしゃる

患者様にはマジックだったようです。

ラグビーW杯2019観戦記

「4年に一度じゃない。一生に一度だ!」

このキャッチフレーズいいですねー

 

10月13日(日曜)、ウエールズVSウクライナが

開催されます熊本に迷いなく向かいました。

先ずは腹ごしらえで益城熊本空港ICを降りると

直ぐのレストランカウベルで赤牛ステーキを食しました。

車は事前予約のグランメッセ熊本に駐車して

会場の「えがお健康スタジアム」へは直通バスで移動です。

スタジアムの雰囲気、練習風景、ウエールズファンの圧力!

どれもこれも初体験で頬が緩みっ放しです。

こんな夢のような大会が日本で開催されるなんてスタジアムにいても

信じられない感動で胸がいっぱいになってしまいます。

思えば昭和57年東京の街を歩いていて何気なく立ち寄った

秩父宮ラグビー場で一人観戦した「オール早稲田VSオール明治」の試合。

初めてラグビーで黄色い歓声がこだまするのを体験しました。

当時まだバックスタンドは土手でした。

ラグビーワールドカップが始まり期待した日本代表の負けても

ひたむきな姿。オールブラックスの容赦のない攻撃。

 

まさか本格的にラグビーファンになって37年後に

日本でこんな世界が観れるなんておとぎ話のようです。

今の日本代表は初のベスト8に入り20日に

スプリングボクスと戦います。

男たちの真剣勝負にまた震える幸せな時間が始まります。

「龍のキセキ」by西元祐貴

8月4日(日)、県民交流センターで開催中の

「龍のキセキ」を堪能して参りました。

アスリートの躍動感!

襖絵の武者

桜島

アーティストの西元祐貴さんは鹿児島出身なので

里帰り個展になります。

それにしても龍には迫力があります。

危うく食べられそうになりました。

帰り際に「なおごろう??」

「龍のキセキ」は9月1日まで開催されております!

令和元年の七夕

七夕の日に鹿児島は5年ぶりに太陽が顔を見せます。

そんな日に鹿児島空港へ向かいました。

上空から見た桜島は雲に覆われています。

(それにしても近づき過ぎじゃない?)

約1時間のフライトで到着したのは奄美空港。

ほぼ鹿児島→大阪と同じ距離をフライトしましたが

ここも鹿児島県!

マングローブの原生林

加計呂麻島へのフェリー発着場瀬戸内町では

シーカヤックマラソン大会真っ最中。

旅の目的は尊々我無「とうとうながし」

(我を無くして、尊い想いで人と出会いなさい)

という先祖からの教えが伝わる奄美大島に惹かれ

同じDNAを感じ搭乗していました。

竜郷町には西郷隆盛(吉次郎)が安政の大獄で奄美に流され

菊池と名を変え愛加那と暮らした家が保存されています。

ご子孫の龍さんにマンツーマンで島言葉による当時の話しを伺いました。

この手紙は西郷隆盛と愛加那の子供、西郷菊次郎(京都2代目市長)が

西南戦争での自身の負傷と父西郷隆盛な亡くなったことを伝えた

母への手紙です。(むせび泣きました)

ここで約3年半暮らした西郷さんはどんな心境だったでしょうか

凡人には分かりませんが懐の大きな西郷さんだけは分かります。

さて、奄美の方々と話をしますと“本土から来た”というフレーズが

度々登場します。同じ鹿児島県人として違和感を覚えます。

ただ珈琲には当たり前のように黒砂糖パウダー、ソテツの山々

など見るだけで文化・歴史の違いは分かります。

帰りの道すがら黒砂糖を買いにたまたま寄ったお店が

「ブラタモリ」でタモリさんが製糖体験した「水間黒糖」だったり

島とうふでの湯葉定食が鶏飯風にして食べれたり

喫茶店に入ろうとした脇でサトウキビジュース用のサトウキビを

絞っている光景に出くわすなど楽しいハプニング盛りだくさんの一人旅。

また、帰りの機内から開聞岳(薩摩富士)を望んだ時は終戦前の

特攻隊員が富士山に見立ててしまう気持ちに触れました。

隼人工業がランドマークとなり見えてきた橋口整骨院。

令和元年の七夕でした。

鉄男のプチ旅行記

5月26日(日)、今日は鉄男に変身して吉松駅へ。


隣に蒸気機関車が有りましたのでしばらく懐かしみました。
市来駅から西鹿児島駅まで子供の頃普通に乗っていましたから。


さてと鉄男の出発は午前8時44分発人吉行き
1両編成の電車へ飛び乗りましたー

車内は同じ鉄男さん達ばかりで一般の方はいない雰囲気でした。
この路線は人気なのですね。皆さん一眼レフカメラを首に下げています。

肥薩線は難所が多く工事も困難を極めたようですが明治41年11月に
東北から鹿児島まで初めて鉄道が繋がった由緒ある鉄道線路です。



人吉駅に着くと歩いてうなぎの上村へ
開店の10時前にもうこの行列です。


久しぶりに鰻をいただき、散歩がてら国宝の
青井阿蘇神社へお参りしてきました。


茅葺きの楼門や社殿に圧倒されます。

あれ?白無垢の方が見える!と、思ったら
花婿が外人さんでビックリぽんでした。お幸せに〜‼️

帰りは観光列車「いざぶろう3号」に乗車。


それにしましても人吉駅は観光列車の宝庫ですね
熊本へ向かうかわせみ号とツーショットが撮れました。


駅倉庫には出番を待つSLも蒸気を出してスタンバイ中。

さて、いざぶろう号は球磨川を渡り大畑(おこば)駅へ





スイッチバックで鉄男の心をくすぐります。
運転手さんの移動も面白いです!

この大畑駅は名刺を貼ると良いことがあるそうで、

それにしましてもすごい数ですね。
遠くに五木の子守唄の山が望めます。


次は矢岳駅、SLが展示されていました。


そして日本一の車窓風景で一旦停車して魅せてくれる心遣い。



列車は最後のスイッチバック真幸(まさき)駅へ
真幸というなんて縁起の良い駅名なのでしょう。
全国的にも人気のある駅で幸せの鐘を鳴らしましたよ。

終点、吉松駅に到着したらちょうど目の前に
吉松駅前温泉の幟を見つけたので温泉に入って帰った
肥薩線のプチ鉄男旅でした。

沖縄

11月24日は会議で沖縄まで出かけており、土曜日に来院されました患者様にはご迷惑をおかけしました。

初めて沖縄の地を踏んだのは昭和55年初夏。

それ以来何度か訪れていますが、特にここ最近の沖縄の変貌ぶりには驚きを禁じ得ません。

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(国際通りには高層ビルがまた建設中です)

会議が始まる前の時間を使って戦後那覇市学校教育発祥の地に建つ

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壼屋小学校へ散歩しましたらグランドで

「第39回壼屋陶器まつり」が開催中でした。

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沖縄県内約30の工房が集まり、皿や茶碗、花瓶にシーサーなど壺屋焼の

作品が通常の2割引き以上のプライスで展示販売されていました。

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壺屋小学校の児童さんによる作品の展示販売や売り子、呼び込みなども

行われており、学校教育と連動した良い取組みだなと感心しました。

ちなみに壺屋焼は地元では「やむちん」と呼ばれ330年以上の歴史があるそうです。

と、ここで学びました。

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そして昼食は南大東島の名物「大東そば」を頂きました。

会議は土曜日に終わりましたが翌日の飛行機は早朝と

19時55分発の2便しかありませんので少し出かけてみますど

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牧志公設市場のカラフルな沖縄近海の魚

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名護市で地元民に人気の「宮里そば」のソーキそばを頬張る周りは

親子3代で食事する地元民が溢れていて懐かしい日本を思い出しました。

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初めて訪れた「美ら水族館」では11月25日なのにミストですよ!

まだ夏です沖縄。

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古宇利大橋はエメラルドグリーンの海に映えていましたが

屋我地島にあるハンセン病院に重く歴史も感じました。

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那覇空港は夕焼け、最後に訪れた対馬丸記念館で観た惨劇のあった悪石島沖で

機上からですが首を垂れ黙とうを捧げながら帰って参りました。