トップ≫ブログトップ

ブログ

10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20

9月22日(火)

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

隼人町から望む桜島。

 2015.9.22.JPG

今朝も橋口整骨院のスタンダード、午前6時過ぎに部活動生徒さん達の

テーピングから始まりました。

シルバーウィークも祭日ですので毎日午前中診療しております。

 

さて、今日はテーピング後に急用が入りまして副院長に任せ

私は出かけることになり患者様にはご迷惑をお掛けしました。

 鹿児島空港2015.9.22.JPG

そして、朝の鹿児島空港。

 2015.9.22離陸.JPG

飛び立つと

 高千穂2015.9.22.JPG

高千穂の峰には面白い雲が山頂にかかっていました。

 2015.9.22愛媛.JPG

直ぐに四国、愛媛県が眼下に。

2015.9.22高知.JPG 

手前は室戸岬で奥の街は高知市です。

 2015.9.22徳島.JPG

徳島県も快晴です。

 2015.9.22和歌山.JPG

和歌山市には紀ノ川とお城も。

 2015.9.22関空.JPG

そして関西国際空港。

 前方後円墳.JPG

前方後円墳も。

阿倍野.JPG 

阿倍野ハルカスも眼下に。

 2015.9.22大阪.JPG

大阪の街は流石に都会です。

2015.9.22大阪城.JPG

2015.9.22淀川.JPG 

大阪城を過ぎ淀川が過ぎれば伊丹空港へ無事着陸。

 2015.9.22淀.JPG

バスに乗車しますと淀川の向こうに京都競馬場が見えます。

 2015.9.22京都駅構内.JPG

着いた場所は京都。駅の構内は人、人、人。

世間はシルバーウィークですので京都は大賑わいでした。

 京都大学.JPG

そして京都大学。

有名な京都大学附属病院も有りますが、ここに入院した任天堂の山内さん。

 任天堂.JPG

積貞棟.JPG

日本を代表するような病院の老朽化を何とかしたいと

自費を寄付して病棟を建てられました。庶民には信じがたい離れ業です。

 IPS建設中.JPG

また、その病棟の隣にも建築中の建物が。

これはその近くにあるIPS細胞研究所が入るのだとか。

近くのIPS研究所は余に品祖(失礼)な感じです。

 IPS研究所.JPG

ここで山中先生にも人類の為に思う存分研究して頂きたいです。

七条橋.JPG

鴨川.JPG 

京都七条橋下を流れる鴨川は穏やかでした。

 DSC05918.JPG

京都タワー。

 関空の夕暮れ.JPG

関空構内.JPG

ピーチ.JPG

帰りは夕陽が四国へ沈む関西国際空港へ向かい

無事に鹿児島へ帰って参りました。

 

隼人工業「体育大会」と移転開院2周年

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

平成27年9月5日、橋口整骨院は移転2周年を迎えることができました。

全てご来院頂きます患者様のおかげです。誠にありがとうございました。

 2015.9.5.JPG

2年前の今日、新聞広告も出さず、はたまた今流行りの内見会もせず、

また来院された患者様へお菓子のプレゼントなど違法な媚も行わず、

一言で言うならばひっそりとした船出でした。

 

巷であり得ない開院の手法ですが、2年前も2年経った今も

誰も私の事を知らない所でその地とそこに暮らす人を愛する。

その信念だけでいらっしゃった患者様をただひたすら真剣に

患者様の幸せを願って施術してきた毎日です。

 テーピング前.JPG

ということで、今朝も午前5時過ぎに整骨院を開けスポーツ少年団の

子供たちへのテーピングでした。

テーピング2015年9月5日.JPG

早朝時計.JPG 

土日は試合が開催されますので早朝テーピングで始まる

2周年記念日でした。

 

テーピングが終わりバニラ君となおごろうの散歩です。

 

隼人工業高校正門前には

 2015.9.5体育大会.JPG

9月5日にビビッとしてしまいます。

 体育大会前.JPG

体育大会前の静けさの中グランドは整然としていました。

グランドからふと空を見上げますと

 月と飛行機.JPG

月と飛行機そして飛行機雲。

すでに秋の空です。

 隼人工業と朝陽.JPG

隼人工業校舎横を通ると爽やかな空気中

朝陽がちょうど登ってきました。

公衆電話.JPG 

それから隼人塚へ周りますと、

この最近てっきり見なくなりました公衆電話ボックスに哀愁です。

 なおごろう散歩.JPG

なおごろうも散歩に大満足のようでした。

 

さて、昼休み時間に隼人工業グランドへ行きますと

 体育大会.JPG紅組.JPG白組.JPG

保護者席から.JPG

青春ですねぇ。

そんな移転開院2周年目の一日でした。

『桜の花の咲く頃に』~台風の朝に鑑賞~

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

8月25日、台風15号は凄まじい風を残し九州を縦断して行きました。

午前3時過ぎの霧島市隼人町は暴風雨で目覚めてしまいました。

桜の花の咲く頃に.JPG 

暴風雨の風音を聞きながらふと北海道のドキュメンタリー思い出し

DVDを再生しましたのが皆さんご存知の

1回日本放送文化大賞グランプリと

平成17年日本民間放送連盟賞最優秀賞をダブル受賞しました

「桜の花の咲く頃に」

別海町.JPG

 別海町 比較.JPG

別海高校.JPG

ここは北海道東の果て 別海町 北海道立別海高等学校。

 横山P.JPG

1年半にも及ぶ期間フジテレビの横山 隆晴プロデューサーが実際に別海町に住んで

町に溶け込み映像を綴るという途方もない手段で撮影されました。

 別海町 吹雪.JPG

父への誓い.JPG

バレーボール 敗戦.JPG

次々とリアルなエピソードに引き込まれて行きます。

父親を不慮の事故で亡くして間もないバレー部キャプテンが全国大会へ望み

ベスト8で破れ、母に迷惑を掛けたくないと進学を諦め地元で働く決意。

母への想い.JPG

母を想う 写真.JPG 

幼い頃から母一人子一人の少年は新聞配達を続けながら母を助け

大人への階段を駆け上がってゆきます。真冬の別海町の豪雪の中歩む

特にこの少年には感情移入しました。

 

私自身も小学5年生の正月から中学3年秋まで約4年間新聞配達を

雨の日、風の日、雪の日、小さな自転車で配達していまして

毎朝の大変さは身を以て分かります。

時代が時代とはいえ小学生が配達と月末には家々をまわり

当時月額1250円の新聞代の集金までしていました。

今ではあり得ない思い出です。

挑戦.JPG

 風連湖.JPG

漁.JPG

風連湖 漁.JPG

また、たった一回の受験の機会なのに前日まで家の手伝いで海に出る子。

冷たい氷に手を差し入れ作業する健気な姿に鼻の奥がツーンとなります。

漁師.JPG

別海 海.JPG

別海 漁師.JPG 

 

また、父と同じ漁師を目指す子。

酪農.JPG

牧草地.JPG 

大家族の長男は酪農を学ぶ道を目指します。

それぞれの葛藤、悩み、また青春のすがすがしさ。

 大学受験.JPG

受験頑張れ.JPG

塾も予備校もない別海町から大学を目指す子。

 桜の花の咲く頃に 冬.JPG

別海 鹿.JPG

高校 吹雪.JPG

その他、ありとあらゆる人生がリアルに写し出されたドキュメンタリーです。

素直な子供たちに感化され大人も変わってゆきます。

 別海高校 卒業式.JPG

卒業 涙.JPG

別海 卒業.JPG

卒業式 先生.JPG

卒業式 別海高校.JPG

さて、このドキュメンタリーは2005年の放送から10年経ちます。

当時同じ年頃の子供を育てており胸が深くえぐられる感動を覚えました。

 

 桜の花の咲く頃に 夏.JPG

台風で外の暴風雨をノイズにひとり鑑賞するとまた画面が滲んで見えます。

この涙は悲しみの涙ではなく、明日からまた頑張ろうとなる

応援歌のような涙。

 みんな元気です.JPG

すごいドキュメンタリーですが不思議にも

何故かDVD販売されていないようですので

ご興味のある方は受付までおっしゃってください。

真夏に運動会です!

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

823日(日)、私の住んでいる霧島市隼人町の原地区で

第45回原大運動会が開催され、参加して参りました。

DSC05767.JPG 

早朝より地区の壮年部の皆さんが大会準備に汗を流し

まさに手作りの心温まる運動会です。

 DSC05765.JPG

私自身去年に引き続き2回目の参加となりますが

顔見知りも増え和気あいあいとなりました。

 DSC05770.JPG

ただ、私の出身地を市来町と申しましても多くの方が

東市来町と混同されております。

これは私が隼人と国分の境が分からなかったと同様の

感覚なのだろうと変に納得しています。

 44回.JPG

真夏の太陽が降り注ぐ原公民館グランドでは

笑いに包まれた日曜日を満喫でき幸せな時間でした。

DSC05772.JPG 

午後から市来町へ帰りますと、東シナ海は台風15号の影響で

既に白波が立ち始めています。

 DSC05776.JPG

船も陸に挙げて準備万端のようです。

 DSC05778.JPG

また、外海が時化れば魚は港に避難します。

そこを狙っての独り釣り。さすがですね。

橋口整骨院開院29周年!

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

昭和61年8月16日に旧日置郡市来町で開業いたし

本日、開業29年を迎えることができました。

皆さま本当にありがとうございます。

 スラムダンク.jpg

(今日はこんな感じです^^

松山千春さんの「大空と大地の中で」という歌の歌詞に

「ふり返るにはまだ若い~」というフレーズがありますが

まさにたかが29年という感覚です。

 

29年前といえばコーレス骨折を整復後にギブスで固定していた時代です。

また、小児の上腕骨顆上骨折を牽引整復していた懐かしい時代でもあります。

PCも携帯も無い時代です。故に真摯に真剣に研修をいたし臨床で数多く経験し

実践の中で患者様の痛みと真っ直ぐ向き合っていました。

実際に骨折、脱臼などを数多く経験出来たことは当時大変でしたが今は良い思い出です。

 

例えば30年以上前、長野のスキー場で1シーズン救護所過ごしをした事が有りますが

次々に運ばれてきますスキー骨折(両下腿骨折)の処置について今でも

当時一緒に救護をした仲間と処置の速さを競い合った話で盛り上がります。

どれだけ早く確実に患者様の痛みを無くするかは今でも通じることです。

 

さて、昭和時代橋口整骨院で骨折を治療されていた子供たちも今では立派な大人。

今ではその子供さん達が通院する時代になりました。お孫さんまで連れていらっしゃると

え?っと驚きますが、「ふり返るにはまだ若い」を口ずさんで受け流します^^

ips.JPG 

医療は日進月歩です。IPSで将来組織の再生も夢物語ではないと思います。

一方、「科学は人を幸せにしたか?」と時々哲学的な事を考えることが有ります。

リトルミイ.jpg 

(リトルミイのような瞳で物事を見る目が好きです)

それでも今日という日にも私に出来るまず一歩を踏み出だして行くことが

患者様の笑顔につながると信じて歩みます。

似顔絵M.jpg

10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20